あの人の挑戦ストーリー
- vol.02小路晃氏
元格闘家・人気ラーメン店 経営者 -
「最後の日本男児」と
呼ばれた男の新たなる挑戦!
何にチャレンジしているのか?
「世界で一番強い男になる!」 幼い頃の夢を実現した小路晃さんは、伝説の格闘技イベント『PRIDE』に23戦出場したヒーローとして「最後の日本男児」と称賛された総合格闘家でした。
しかし、栄光の日々は長く続かず、過去のものに…。倒れても何度でも立ち上がる男は、決して諦めず、再起をかけ、地元富山でラーメン店を開業。現在は3店舗を経営するオーナーとして活躍中です。そんな小路さんが次に目指す挑戦は、「若手格闘家の育成」と「講演活動」。つまり、最後の日本男児の魂を伝えていくことだといいます。さぁ、小路晃さんの挑戦ストーリーをお聞き下さい!
なぜ、チャレンジするようになったのか?
私は、全日本学生ベスト8に選ばれる柔道家でした。そんな背景もあり、総合格闘家になる夢を抱きましたが、家族は大反対。そんな中の上京でしたから早朝3時から働き、生活費を稼ぎ、残りの時間すべてを練習に捧げる日々を送りました。なぜなら当時の私は172センチ、92キロ。当時、階級制ではなかったために、身長差40センチある外国人選手とも同じ条件で闘わねばならなかったからです。通算戦績「9勝12敗2分け」と、敗北数こそ多いですが、多くの方々が私の立ち向かう姿に共感してくれました。
格闘技雑誌の表紙を何度も飾らせていただきましたが、「努力の賞味期限」は案外短く終わりました。当時、米シアトルを練習場所に日本での試合に備える生活をしていましたが、大晦日に電話が鳴ったんです。内容は、「次の試合で若い選手が見つかったので日本に帰ってこなくていい」という事実上の「クビ宣言」でした。「もう生きている価値はない」とさえ思いました。偶然入ったラーメン屋。店内では日本人老夫婦が汗水たらしてラーメンを作っていました。その姿を見ながら、スープを飲んだとき「俺は何をアメリカまできて腐っているんだ」って。そして、日本に帰国し、修行の後に地元富山でラーメン店「つけめん えびすこ」をオープン。業績は順調に拡大しましたが、3年目に突入する頃になると、社員の離職増加に伴い、売上げも低下してしまったんです。
どうして、みんな辞めていくんだ…それもそのはず、当時の私は、「俺の言ったとおりにやっていればいいんだ!」という社員を自分の思い通りにしようとしていたんです。このままではいけないと、心理学を学びながら、徹底的に自分のコミュニケーションを改善し、「何のために経営するのか」という経営理念についても、考え直しました。結果、売上もV字回復を遂げ、富山ラーメンフェスタでは2日間連続で売上1位、東京ラーメンショーにも2年連続で出場を果たすことが出来ました。
何のために、チャレンジするのか?
リング上では「一対一の闘い」「自分だけの勝利」でしたが、今は「お客様」「社員」「地域社会」と共に『WIN-WIN』の道で成功していく経営を行っています。そこで、私は次なるチャレンジとして「知 ・徳・体の調和のとれた人材育成」を行うことを決めました。
それは、自分が一杯のラーメンに救われたように、私が学んだ「夢を叶える努力」「もし失敗しても落ち込むことなく、新たな挑戦をする」「共に成長する仲間を見つける」「人のために動ける人になる」ことを私の経験を可視化した「新・日本男児の魂」を多くの人々にプロの講演家として伝えていくと同時に、「若手格闘家の育成」「ラーメン店経営」を行う三足の草鞋を極めていくチャレンジをしていきます。それが私の使命だと思っているからです。