» » エイブラハム・リンカーン

逆境に乾杯

あの人の

選挙に8回落選した……だから何?

エイブラハム・リンカーン(1809~1865)

update:2017/11/24
エイブラハム・リンカーン
失敗続きだった男が、なぜ「アメリカ史上最も偉大な大統領」と讃えられるようになったのか? その答えは文庫本約15頁分くらいの「自叙伝」に隠されていました。

大統領候補に指名されて、記者からその生い立ちを尋ねられたA・リンカーンは、次のように答えたそうです。
「私の幼時についてなにか書こうとするのは、馬鹿の骨頂だよ。それはグレイの詩歌の中の一句、『貧しきものの短くもまた単純な記録』にすぎない」
その言葉どおり、選挙戦のために執筆された自叙伝は、ごくあっさりしたものでした。

1809年にケンタッキー州で生まれた。
学校に行ったことはあるけど、その期間は合計で1年にも満たない。
23歳まで斧が最良の道具だった。
インディアン戦争で義勇兵に加わったが、実戦は経験していない。
帰ってきた後、州議員選挙に立候補して落選。
その後は雑貨屋を経営したけどうまくいかなくて、測量技師として食いつないだ。
法律の勉強をして弁護士になって、45歳で上院議員選挙に立候補するも落選。
その翌年も落選。

第16代アメリカ合衆国大統領に就任したのは51歳のとき。そしてその3年後、「人民の人民による人民のための政治」というフレーズで知られる「ゲティスバーグ演説」によって、世界史上にその名を深く刻むのです。

「私のことはどうでもいい、真実こそがすべてだ」

歴代の大統領がみんなお手本にしていると言われているのが、リンカーンの演説です。しばしば選挙戦に不利な内容が含まれていたため、「賢明ではない」と党の僚友から忠告されたこともあったとか。しかし、忠告にはあまり効果がなかったようで、こんな名言を遺しています。
“I am nothing, but truth is everything.”

「単純な記録」という自叙伝の形式は、「真実こそがすべて」という強い信念の表れではないでしょうか。
その淡々とした文体は、貧しい出自や事業の失敗、選挙に落選したことさえ、本人にとっては重大事ではなかったことを物語るかのようです。

比べれば自分自身のことを ”nothing” と思えるような何か。
信念とはそういうものであり、それを手に入れたとき、いわゆる逆境はもはや逆境ではなくなる。彼の短い自叙伝はそう教えてくれます。

【もっと知りたい】人気の理由
「私は教育のないことを残念に思い、この欠陥をおぎなうため私にできうるかぎりのことをした」
リンカーンが生れ育った時代のアメリカでは、学校教育を受ける機会は富裕層の子女に限られていました。そのためリンカーンは、読み書きや算数に加えて測量術を独学。測量技師や郵便局長などの仕事をしながら、さらに法律を学び、弁護士の免状を取得しました。
南北戦争を率いて、現在に続く合衆国体制を築いた功績により、アメリカ国内では初代大統領ワシントンと同じくらい高く評価されているリンカーン。トレードマークとなった山高帽の中には、手紙や請求書やメモ書きがいっぱい詰まっていたとか。学術調査のみならず一般の世論調査でも人気が高いのは、努力家で気どりのない人物像にも理由があるようです。
参考資料
『リンカーン演説集』(訳/高木八尺、斎藤光)岩波文庫、1957年刊
『憲法で読むアメリカ史 上・下』(阿川尚之)PHP新書、2004年刊