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逆境に乾杯

あの人の

夫の自殺をきっかけに、自分の欠点と向きあいました

キャサリン・グラハム(1917~2001)

update:2018/02/15
キャサリン・グラハム
ワシントン・ポスト紙の発行人として、従業員と「報道の自由」を守った元・専業主婦。経験も知識もないまま、いきなり経営者になった彼女の経営方針とは?

髪を豊かにカールさせて、仕立てのよさそうなスーツを着こなし、リンドン・ジョンソンからビル・クリントンまで、歴代大統領と握手を交わす。自伝に掲載された写真は、その女性が1970年代から90年代のアメリカ社会でまぎれもない権威だったことを表しています。
しかし、彼女の人生最大の悩みは「自分に自信がないこと」だったというのです。

経済的にも文化的にも恵まれた環境に育ち、才気煥発の弁護士と結婚。実父から夫へと継承された新聞事業はまずまず順調で、ワシントンで各界の名士と交際しながら、郊外の別荘では子どもたちとの団らんを満喫。
絵に描いたような上流階級の生活のただなかで、「自信がない」とは、いったいどういうことでしょうか。

年をとるにしたがって、ますます内気になり、自信をなくしていた。私はどうすれば自分を一番よく見せられるのか、社交的な場でどう振る舞えばよいのか本当に分からなかった。私は自分が退屈な人間ではないかと恐れ、みんなが私たちと付き合ってくれるのはまったくフィル(夫※引用者注)のおかげなのだと信じていた。

「特権階級の専業主婦の贅沢な悩み」と言うべきか、それとも「社会的弱者の深刻な悩み」?
有能な経営者だった夫は、激務と重圧から精神を病んで自殺。遺産相続によりグラハム夫人がワシントン・ポスト社の筆頭株主になったのは46歳のときでした。

まず片足を前に出し、目を閉じて、エイ、ヤーと崖から飛び下りた。
驚いたことに自分の両足で着地していた。

ポストに就いたばかりの頃は、自信がなかったからこそ、あらゆる人に助言を求めたそうです。「左が資産、右が負債」というメモをデスクに貼り付け、「出社前に1時間くらいかけて新聞を読みなさい」というアドバイスを愚直に実行。そして、「私はいわば恋に落ちた」。
新聞というメディアに惚れ込み、会社全体を愛すること。グラハム夫人にとって、それが経営という仕事でした。

かつてそれを「家庭の主婦とチアリーダーという二つの役割を混合したような仕事に対する関心」と正確に(性差別的表現だったかもしれないが)表現したことがある。会社では、社員たちが自分の持ち場で自由を満喫できる、良い意見は常に聞き届けられる環境を作り出そうと努力した。

夫から理不尽な仕打ちを受けては、食糧貯蔵室にこもって泣く。そんな女性が9年後、ウォーターゲート事件で現職大統領を辞任に追い込んだとは、にわかに信じられません。
しかし彼女はたしかに、政権による圧力と戦い、新聞の発行人として「事実を公表する」という決断を下しました。「報道の質」と「会社の収益」は車の両輪だという信念に基づいて。

自伝の口絵には、機密文書流出事件の聴聞会を終えて、編集主幹と一緒に建物から出てくる写真も掲載されています。自信は、お金で買ったり人からもらったりするものではなく、努力と引き換えに得るものである。白い歯をさらして大笑する姿は、そんな単純な真理を太字で記すかのようです。

【もっと知りたい】――家庭の主婦かつチアリーダー的企業経営
グラハム夫人の仕事の一つは、読者からの手紙に必ず返事を書くことでした。風刺漫画家・ハーブロックを擁護したエピソードから、彼女が新聞を、会社を、どのように愛していたかを察することができます。
「私は怒り狂って手紙をよこした読者の多くに、『漫画の特徴はテーマをはっきりさせるために誇張することにある』という事実を思い起こしてもらったものである。また、偉大な風刺漫画家は芸術家でもあり、芸術家に内在するあらゆる感受性や気質を備えているのだと説明したこともある。ハーブロックは疑いもなく偉大な漫画家だった。『あなたは、彼の漫画と共に生活もできるでしょうし、また彼なしでもやっていけるでしょう。しかし、私にとって後者の場合は考えられないのです』」
参考資料
『キャサリン・グラハム わが人生』(著・キャサリン・グラハム/訳・小野義邦)TBSブリタニカ、1997年刊